私は新聞や雑誌で書いてある占いはほとんど読まないし、信じていない。朝のテレビ番組の占いも関心がない。霊感占いと書いてあるものには近寄らない。
霊能者とか、スピリチュアルヒーラーと呼ばれる友人は、昔はいたが今はいない。いつの間にか周囲から消えていった。
なぜ消えていったのか?それは私が現実的だからだろう。誘われても応じなかったし、私は疑い深い。きっと「疑ってますオーラ」がキラキラ輝いていたに違いない。
それともう1つ、私が神社仏閣が大好きだからだと思う。強い守りがあるので、変な人は近寄れないのかもしれない。友だちはそれほど多くはない。まあ、私自身が変な人なので、善良な人が近寄らないのか?
さて、占いや霊能者が好きではないと書きながらも、本当のところは個別鑑定を何度か受けたことはある。それでわかったのは、私には歴史が必要なのだ。古代から連綿と続く歴史を感じさせる占いである。占い師自身も勉強家、もしくは神社仏閣と繋がりのある人であることが必要なのだ。
晴明神社の神職さんに占っていただいたのは、もう随分前になる。その思い出が強烈で、私は人生の岐路に立ち止まることがあると、晴明神社を思い出すのだ。特に悩みがあったわけではない。ただ真摯に人生について考える時間を過ごせたのが幸せだった。
だから、いつか神社仏閣の境内で人生相談が出来る力を持つ人になりたい。変な壺など売り込む金目当てではなく、おかしな思想にかぶれるわけではなく、冷静に人生を考える時間を提供出来るように。
そうそう、占術はもともと戦術だったそうだ。組織の指導者しか使えないものだった。帝王学だったのである。
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